1987年度 中学部

31期・32期の優勝のあとをうけ、3年連続優勝がかかっていた大会だったが、残念ながら準決勝で敗退。この年は小野中が優勝。

団体2回戦

  愛光 スコア 伊台中
峯健司
(中3)
21-1621-13 中村
佐久川亮
(中3)
14-2121-1621-17 加治
河野(中3)
水田(中2)
21-9
21-12
寺本
阪本
高橋
(中2)
21-10
21-18
福田
西村潤一
(中2)
      寺本

団体準決勝

  愛光 スコア 小野中
西村潤一 21-16
18-21
13-21
河野
峯健司 21-23
21-13
19-21
阿部
河野
水田
21-17
16-21
21-17
曽我部
高橋 14-2114-21 斉藤
佐久川亮       安倍

出場選手

【中3】33期
峯健司・河野・佐久川亮
【中2】34期
高橋・水田・西村潤一

個人シングルス

1回戦
高橋 0-2 関家 附属中
2回戦
佐久川亮 2-0 重岡 南中
河野 0-2 河野 小野中
峯健司 2-1 青木 垣生中
3回戦
佐久川亮 2-0 中田 余土中
峯健司 2-1 中川 南2中
4回戦
佐久川亮 0-2 神尾 勝山中
峯健司 1-2 野原 雄新中
中3a 西村潤一(34期)  去年の総体のことはあまり覚えていない。覚えていることといえば、小野中との試合だろう。小野中に勝てば、レプリカがもらえるのだ。しかし、負けてしまった。その中身を詳しく言うと、僕は小野中のエース河野とあたってしまった。高橋は斉藤とあたり、峯先輩は阿部とあたった。僕は外から見たら接戦のように見えたかもしれないが、河野(小野)はあまり本気を出していないようだった。なぜなら、河野はあまりループを使わなかったからだ。
 新人戦も総体もそうだが、選手には反省が足りないと思った。なぜあのとき負けたか、何が自分に不足しているかをもっと反省しないといけないと思った。レプリカの夢が消えてしまって残念に思う。(レプリカが見たかった。)

団体2回戦

  愛光 スコア 桑原
高橋
(中2)
21-10
24-26
21-18
毛利
西村潤一
(中2)
21-18
26-24
遠藤
細木(中2)
村松(中1)
22-20
21-11
田中
福吉
水田
(中2)
21-10
21-17
山本
野村
(中2)
21-17
21-9
竹村

団体3回戦

  愛光 スコア 鴨川
高橋 21-16
21-4
南田
西村潤一 21-19
21-10
赤沼
細木
村松
21-9
21-6
高橋
山本
水田 21-13
21-13
大西
野村       白石

団体準決勝

  愛光 スコア 道後
水田 11-21
15-21
大島
西村潤一 24-22
21-15
橋本
細木
村松
21-13
8-21
21-12
大庭
越智
高橋 21-8
13-21
21-18
栗林
野村       杉野

団体決勝戦

愛光 スコア 余土中
西村潤一 17-21
21-18
21-10
金浦
水田 21-16
20-22
13-21
戸田
細木
村松
21-19
22-20
西野
新海
高橋 21-1821-8 三好
野村       一色
出場選手

【中2】34期
高橋・西村潤一・水田・細木・野村
【中1】35期
村松

中1d村松豪太(35期) 11月のはじめに松山市中学新人戦があった。われらが愛光は去年決勝で道後中に敗れたが、今年は準決勝であたるということで、負けたら中予大会に出場できないこともあり、試合前はものすごく緊張したようだった。しかし、試合が始まれば、みな燃えだし、「2回戦:5−0」「3回戦:3−0」と快調に進み、準決勝、道後中戦となった。

 トップが西村先輩と道後のエース橋本となり、ここで西村先輩が2−0で下し、一挙に希望の光がさした。しかし、2番手の水田先輩が道後の2番手大島に2−0で負けて、みんなが「アワ、ワ、ワ」となった。そのとき、ダブルスが道後のダブルスに2−1で勝って4番手の高橋先輩が栗林に勝ち、ついに決勝に進出した。

 決勝の余土中は大会の前に3回ほど練習試合をして勝ち越していたので、みんな落ち着いていたので3−1で勝ち、なんと優勝してしまった。なかでもダブルスは市大会全勝と、優勝に大きく貢献した。

1987年11月15日道後中

団体1回戦

愛光 スコア 上灘
西村潤一 21-15
18-21
23-21
若宮
水田 21-12
21-13
城戸
細木
村松
21-18
21-15
浜田
窪田
高橋 21-17
21-14
三浦
星加 21-23
25-23
19-21
渡辺

団体2回戦

愛光 スコア 中島
高橋 13-21
24-22
21-14
俊成
水田 21-18
21-17
高木
細木
村松
19-21
18-21
門川
忽那
西村潤一 21-1320-2221-17 二神
星加       木村

団体決勝戦

愛光 スコア 港南
西村潤一 21-15
21-16
日野
水田 18-21
21-13
21-15
二神
細木
村松
21-17
21-23
21-16
坪内宮田
高橋 21-15
21-16
田中
星加       中村
この年から新人戦県大会は東予・南予のもちまわり開催となった。団体戦では4つのブロックにわかれ3校で予選リーグを行い、上位1校が決勝トーナメントに進む。残念ながら予選リーグで敗退した。

団体予選リーグ

1試合目

愛光 スコア 新居浜南
水田 16-21
22-20
16-21
真鍋
高橋 21-16
21-13
永井
細木
村松
1-21
16-21
柿本
塩崎
西村潤一 19-21
10-21
矢野
星加 17-21
21-16
飯尾

2試合目

愛光 スコア 朝倉
水田 11-2121-1118-21 長井
西村潤一 9-2115-21 石丸
細木
村松
18-2121-23 越智
越智
高橋   19-23   武田
星加       元岡

新人大会を振り返って 中2a細木(34期)

 当たり前のことだが、どの学年でも新メンバーになってからは、新人大会・総体という2つの大きな大会を目標として練習にはげむわけである。そして今年、僕らも新メンバーになって以来、新人大会に向けて練習にはげんだ。

 僕は去年の新人大会には出てなかったが、総体には補欠として一応出た。だから試合形式、会場の使い方などは知っていた。今年のレギュラーの半分が総体に出ていたから、みんなもどんな様子だったかは覚えていただろう。11月7日、市大会。前日はぐっすり眠れた。会場の道後中学に着いた。あいかわらずだった。でも、やはり少しの緊張はあった。1回戦不戦勝、2回戦桑原中。この日はこの試合だけだったが、最初の試合だったので緊張した。僕は村松君と組んでのダブルスで、最初から決まっていた。結果は5−0、圧勝だった。次の日の朝は個人戦。みんな早いうちに強い人たちに当たって負けた。西村君のベスト32が最高だった。ちなみに個人戦にでたのは高橋君と水田君と西村潤一君と僕の4人だった。午後は団体戦、3回戦は鴨川中で4−0の圧勝。次は準決勝、中予大会出場権をかけた争いだった。対戦相手は道後中、ハプニングの連発のようだった。先生もみんなもオーダーを見て、水田君は勝ち、西村君は負けると思っただろう。結果は逆になり、結局は3−1で勝った。決勝戦は対余土中。余土中とは練習試合を何度かしていたので慣れていた。3−1で勝ち、みごと優勝したのである。僕はダブルスだったのでほとんど緊張はなかったようだった。優勝したときは、もううれしくてたまらなかった。

 11月15日、中予大会。このときは先生も市大会ほど燃えていないようだったので、みんなも落ち着いてプレーしたと思う。順調に、といっても3回だけだが勝ち、また優勝した。市大会ほどのうれしさはなかったが、まあうれしかった。

 11月22日、県大会。新居浜で行った。リーグ戦方式で予選リーグ、決勝トーナメントと進んでいくのだが、僕らは予選リーグで朝倉中に負けた。南予3位チームが棄権だったのに、負けてくやすかった。でも力の差だということがはっきりわかった。心残りはなかった。県大会まで進めたので、総体では県大会ベスト4までに入れるようにがんばりたい。

 この大会で印象に残ったのは、団結すれば無理のようなことでもかなう、ということだ。これからも、個人のためにも、みんなのためにも練習をまじめにして強くなりたい。

1987年度 高校部

高2D湯川(31期)

 62年度総体、それはすべてが団体戦に象徴されているというのが正解だと思う。そのとき、僕ら高校生は組み合わせを見たとたん、間違いなくベスト8には、そしてあわよくば伊予高に勝って新田とやりたい、とまで思っていた。ところが悪夢のような2回戦が始まった。

 1番浦川対十河、2番峯対全然知らない奴。このとき、少なくとも峯は勝つと思い、浦川も練習では2回ぐらい十河に勝っているのでたぶん勝つだろうという考えが頭をよぎった。ところが、試合が始まると目の前で信じられないことがおこった。浦川はあっというまに負け、続く峯も負けてしまった。こうなったら向こうのもの、とばかりダブルスも北高ペース。自分も「愛光が負けたかな」と思ってからどんどん負け始めた。結果はストレート負けであった。この敗戦が尾を引いてか、個人戦はみごとな負けっぷりだった。

【団体2回戦】
[愛光]0−3[松山北]

【個人戦】
データなし(県大会出場者なし)

1987年10月24日済美高校

団体1回戦

愛光 スコア 内子
湯川
(高2)
21-17
19-21
21-17
黒田
峯真司
(高2)
9-21
21-13
21-12
加藤
成見
松下
(高2)
21-14
16-21
22-20
黒田
井上
梅木
(高2)
21-8
21-14
三瀬
新開
(高1)
      白石

団体2回戦

愛光 スコア 伊予農
梅木 21-13
21-7
作間
22-20
21-16
西岡
成見
松下
20-22
16-21
堀内西岡
湯川 21-19
23-21
好本
新開       光峰

団体3回戦

愛光 スコア 新田
21-9
21-19
越智
新開 8-21
13-21
玉井
成見
松下
21-23
21-12
17-21
玉井
正岡
梅木 10-21
17-21
黒田
湯川 21-12
12-15
小池

個人シングルス

1回戦
木下(高1) 2−0 三好 東高
樋口(高1) 1−2 中村 東高
西村信一(高1) 2−0 横田 東高
松下(高2) 2−0 山中 聖陵
峯(高2) 2−1 岩崎 南高
浦川(高2) 2−0 和田 南高
湯川(高2) 2−0 小池 新田
鈴木(高1) 2−0 浅原 北条
田中(高1) 0−2 大久保 小田
山縣(高2) 不戦勝 浜田
成見(高2) 2−0 鍛冶岡 南高
2回戦
木下 2−0 福居 南高
西村 2−0 大崎 上浮穴
松下 2−1 松岡 南高
2−0 滝野 伊予農
浦川 2−0 柳之内 中央
湯川 2−1 金田 伊予
鈴木 2−0 堀川 伊予
山縣 0−2 黒田 内子
成見 2−1 安倍 上浮穴
梅木 2−0 武山 南高
新開(高1) 2−0 武田 南高
3回戦
木下 2−1 宮崎 聖陵
西村 2−0 新井 西高
梅木 2−0
松下 2−1 森貞 東温
2−1 大野 上浮穴
浦川 0−2 藤本 商業
湯川 0−2 橋本 東高
新開 1−2 金浦 東高
成見 0−2 堀川 伊予
鈴木 2−1 米沢 商業
4回戦
木下 0−2 黒田 新田
西村 2−1 土居 中山
梅木 2−0 河内 東高
松下 2−? 宮田 伊予
1−2 部谷 東高
鈴木 0−2 大西 南高
5回戦
西村 0−2 梅木 愛光
梅木 2−0 西村 愛光
松下 0−2 竹田 北高
6回戦
梅木 0−2 黒田 新田

高1D西村信一

 自分が出てもいない試合について記述することは非常に難しいことなのだ。だから以下に書くことが自分の事ばかりになるかもしれないが、先輩も同じテーマで書いているので許してほしい。

 実をいうと、僕はこの大会はあまりやる気がなかった。中3の夏のショックがまだ尾をひいていて、勝負のことなどどうでもよいという気になっていた。しかし、県大会出場決定の4回戦、中山高校の土居との試合の1セット目をとられたあと、ふと周りを見回した時、僕はまわりの応援 ― ただし、僕に向けられたものではなかったが ― に気がついた。そして思い出したのだ。あの2年前の中2の時の新人戦個人戦での部谷との対戦を。あのとき、果たせなかった夢が今目の前にあるのだと思うと、何だか勝たなければいけないような気がして劇的な逆転勝ちをおさめた。が、その気合いも3日とはもたずに県大会ではあっけなく負けたのであった。

1987年11月21・22日宇和

団体1回戦

愛光 スコア 津島
湯川
(高2)
21-1621-18 立花

(高2)
21-1016-2121-5 三好
成見(高2)
木下(高1)
21-1721-15 山本
三好

団体2回戦

愛光 スコア 今治工
梅木 11-21
6-21
松木
13-21
21-23
野田
成見
木下
11-21
9-21
白石
山田
湯川       宇高
松下       白石
【個人シングルス】

西村信一0−2?
松下  1−2池田(八幡浜)
梅木  1−2近藤(新居浜南)

高2B成見哲(31期)

 最後の大会だった(もちろん勝てばリーグ戦なるものもあったが)。特急で卯之町駅下車、土曜は個人戦があった。どの試合も惜しかったのだが、後半返されて負けてしまった。個人戦の終わったあと、いくらか練習し、宿に帰る。昨年とは違って和風の家であった。修学旅行の全日空ホテルなんかより、ゆったりしててよかった。その夜はナポレオンばかりやった。

 翌朝は霧で視界が悪く、球が見えにくかった(わけない)。愛媛では有名な肱川あらしもこの霧を主成分とする。霧の出る日は晴れる。団体は昨年と同じ今工に負けてしまう。確かに強い。中予の時の新田と違って、潔く負けざるをえなかった。がんばりはしたが・・・。

 果たして、我々31期生の愛光卓球人生は終わった。一つ学んだことがある。球がどうもうまく入らなかったりするのを自分の調子のせいにしてはいけない。運と調子は自分で引っ張ってくるものだったのだ。卓球部のみんな、先生方、ありがとうございました。

市卓球選手権

1987年7月26日県運動公園
一般男子W
2回戦
高橋
西村潤一
0−2 大谷
佐伯
健勝園
成見
山縣
0−2 門岡
渡辺
新卓会
浦川
木下
0−2 西家
宮本
健勝園
梅木
西村信一
0−2 小泉
久世
JANCS
ジュニア・シングルス
5回戦
湯川(高2) 1−2 森松 松商
峯(高2) 2−?
梅木(高2) 1−2 黒田 新田
浦川(高2) 2−?
新開(高1) ?−2 藤本 松商
6回戦
0−2 黒田 新田
浦川 2−0 金塚 松東
7回戦
浦川 ?ー2 藤本 松商
カデット・シングルス
4回戦
高橋(中2) 2-1 二神 中島
決勝戦
高橋 2−1 高木 中島

県卓球選手権

1987年10月4日コミセン
ジュニア・シングルス
1回戦
西村信(高1) 0−2 高橋 新居浜南
梅木(高2) 2−0 保積 大洲
湯川(高2) 2−1 大方 新居浜工
木下(高1) 0−2 松原 弓削
峯(高2) 0−2 大沢 今西
新開(高1) 2−0 菊池 大洲
2回戦
梅木 2−? 宮本 宇和島東
湯川 ?−2 近藤 東予工
新開 ?−2 井上 八幡浜
3回戦
梅木 棄権
カデット・シングルス
2回戦
高橋(中2) 2−1 萩森 朝倉
3回戦
高橋 ?−2

中2C 高橋剛(34期)

 市卓球選手権は、昭和62年7月26日に行われた。20日からこの日まで、先生の家に泊まって練習していた。だから、少しは良い成績をとりたいと思った。また、先輩からは、3(4?)年連続優勝がかかっている、などといろいろ言われた。また、親も来ていた。この3つのことでとてもプレッシャーを感じた。そして、試合が始まってみると、1回戦不戦勝で2回戦は楽勝だった。だから、これはいけると思った。そして、数試合を経て準決勝になった。この試合は1セット目の途中でおなかが痛くなり、とてもあぶなかった。そして、決勝だ。1セット目はわけのわからないままに、とられてしまった。これはやばいと思っているうちに、2セット目も6ポイントぐらいリードされた。そのへんで相手に慣れてきて、ぎりぎりで勝った。夏休み、残って練習し、また、試合はとても苦しかったので、優勝できてとてもうれしかった。

市学年別大会:1988年2月14日コミセン

中学1年の部 中学2年の部
1回戦 2回戦
西浦 2−0 八木 桑原 西村潤一 2−0 中村 勝山
村松 2−0 矢野 道後 野村 1−2 湯口
大橋 2−0 松友 城西 細木 1−2 杉野 道後
竹田 2−0 小泉 南2 高橋 2−0 河野
平山 2−0 家村 道後 3回戦
2回戦 西村 1−2 橋本 道後
西浦 0−2 山下 道後 高橋 2−0 高瀬 勝山
青木 2−0 高橋 南2 4回戦
村松 0−2 中村 雄新 高橋 2−0 橋本 城西
大橋 2−0 板木 道後 5回戦
星加 2−0 藤阪 桑原 高橋 2−0 木村 中島
竹田 1−2 渡部 雄新 決勝
平山 0−2 川口 南2 高橋 2−0 橋本 道後
3回戦
青木 2−1 松下 勝山
大橋 1−2 村上 勝山
星加 2−0 二反地 雄新
準々決勝
青木 0−2 二神 中島
星加 2−1 村上 勝山
準決勝
星加 1−2 高木 中島
県学年別大会:1988年3月21日県運動公園
中学1年の部 中学2年の部
1回戦 1回戦
青木 2−0 玉川 西村潤一 0−2 清家 新居浜東
星加 2−1 渡部 丹原東 高橋 0−2 藤本 宮窪
2回戦
青木 2−1 伊井 三間
星加 2−0 流水 西海
3回戦
青木 0−2 矢野 近見
星加 1−2 清家 吉田